WEBライターは初心者でも稼げる?11月から始めてここまでの成果
こんにちは!けんくんです!
11月からWEBライターを始めて3か月が経過し徐々にWEBライターとして自信を持って執筆作業に取り組むことができるようになってきました。
ここでは「副業でWEBライターをやってみたいけど稼げるか不安」「WEBライターってどうやったらなれるのか」気になる人のために私の実体験をもとにお話ししていきます。
今回はWEBライターを3か月やってみてどのような作業ができるようになり、実際にいくら稼げたのかお伝えします。
過去の投稿はこちらになります。
結論から先にいうと、、
3か月ライターを行ってきて必要だと思ったスキル
3か月ライターとして働き稼げた金額
- 稼げた金額は2万5千円
それでは順番に詳しく見ていきましょう!
3か月ライターを行ってきて必要だと思ったスキル3個
WEBライターとして活動していくためには3つのスキルが必要だということが分かりました。
必要なスキル
1つずつ詳しく解説していきますね!
案件を獲得するためにはワードプレスの使用経験有が必要不可欠
WEBライターとして案件を取って稼ぐためには、ワードプレスの経験が必要不可欠だと感じました。
私自身も最初はワードプレスの使用経験がないまま案件の応募していましたが、どの案件もテストライティングで終わってしまい案件を獲得できない日々が続き落ち込むこともありました。
そこで取り組んだのがクラウドワークスの低単価(1文字0.1円)ではありますがワードプレスの使い方やライティングについての基礎を学ぶことができる初心者案件でした。
お金を稼ぎたいという思いから勉強も怠りとにかく案件に応募していたので、まずはしっかりとライターとして勉強をしてから案件に応募していこうと考え、お金より勉強に路線を変更しライターとしての基礎を学ぶことにしました。
結果的に初心者案件でライタースクールに通うような感覚でどんどん執筆を行いスキルアップすることができ、ワードプレスのスキルとライティングスキルを身に着け、自信を持って他の案件に応募し契約、継続しての執筆作業をお願いしてもらえるようになりました。
WEBライターの知識はあまりないけど、文章を書くことが好きでやってみたいと思っている人はまずは初心者案件に応募し必要なスキルを身に着けることで稼げるようになりますよ。
クラウドワークスでライターとして始めて見たい人はこちらから!
クラウドソーシング・仕事依頼・求人情報は日本最大級の「クラウドワークス」
SEOライティングについてある程度知識を持っていた方がいい
WEBライターとして活動するために必要なスキルの2つ目は、SEOライティングへの知識です。
SEOライティングと聞くと難しく感じるかもしれませんが簡潔に言うと、
グーグルで検索したときに自分の書いた記事が上位に表示される方法です。
SEOライティングについて詳しく書くのはまた次回にしますが、どのクライアントもどうやったら自分の記事がグーグルの検索で上位に表示できるか考えて執筆の指示を出してきます。
そのような指示を的確に理解し記事に落とし込むためにはSEOライティングへの知識は必要不可欠なので知識として必ず持っておきましょう。
SEOライティングが学びたい人はクラウドワークスの初心者案件で学ぶことができます。
クラウドソーシング・仕事依頼・求人情報は日本最大級の「クラウドワークス」
各クライアントマニュアルに沿ったライティングが必要
WEBライターとして活動するに際に必要なスキルの3つ目は、クライアントから提示されるマニュアルをしっかりと読み、そのマニュアルに沿った記事を書く必要があるということです。
先程どのクライアントもグーグルで自分の記事が上位に出るためにはどのような方法で書けばいいかを考え、その手法をマニュアルに落とし込み私たちライターに執筆をしてもらいます。
頂いたマニュアルや指示に対して言うことを聞かずに自分の考えだけで記事執筆を行うと、クライアントの意向に沿った記事ではなく継続した案件も取りにくくなってしまいます。
WEBライターは執筆がメインの仕事にはなりますが、どのような構成で書くのか狙っているキーワードをどのように使用していくのか執筆以外のことでも考えることは多くあります。
それがWEBライターとしての面白いところでもありますのでぜひ挑戦していきましょうね!
クラウドワークスの初心者案件でもマニュアルがあるのでいい練習になりますよ。
クラウドソーシング・仕事依頼・求人情報は日本最大級の「クラウドワークス」
3か月ライターとして働き稼げた金額
それでは実際に3か月WEBライターとして働き、得ることができた報酬を紹介します。
WEBライターで稼げた金額
- 25.000円
・初心者案件 → 20記事5.000円
・1記事2000円案件 10記事20.000円
稼げた金額は2万5千円
WEBライターとして3か月活動し稼げた金額は25.000円でした。
時給換算すると驚くほど低いのでやめておきます。(笑)
ただWEBライタースクールに通うと何十万とかかるので、むしろお金を貰えてWEBライターとしての基礎を学ぶことができたのはいい機会だったなと感じています。
まとめ
ここまでWEBライターを3か月やってみて必要なスキルや、実際に稼げた金額についてお話してきました。
実際のリアルな金額をみてそんなものしか稼げないのかと思う人もいるかもしれませんがアルバイトとWEBライターでは大きく違う部分があります。
それはWEBライターは在宅で仕事をすることができ、スキルが身に着けば単価もどんどん上がっていくので収入も増えていくところです。
アルバイトの場合だと時給1.000円でずっとそのままですが、WEBライターはスキルに応じて大きく報酬が変わってくるので長期的目線で見ると大きく収入に差が出てきます。
最初は少ない金額で執筆をすることは大変ですが乗り越えれば長く副業でもやっていける仕事の1つだと感じています。
これからWEBライターを始めようと思っている人はぜひ勇気を出して初めてみることでやりがいを持って働くことができますよ。
ちなみに今自分もSEOライティングについて学ぶことができる案件でお金を貰いながら学んでいる最中です。
ぜひクラウドワークスの初心者案件で皆さんもWEBライターとしてデビューしてみましょう!
何か分からないことがあれば相談に乗ることもできるのでぜひコメントしてくださいね!
クラウドワークスへの登録はこちらから!
全国大会に出たことで 社会人編
今週のお題「人生変わった瞬間」
自分は中学生の時に駅伝の全国大会に出たことで人生が変わりました。
ここまでは中学編、高校編と大学編をお伝えしてきましたが今回で最終の社会人編になります。
前回の記事はこちらから
・中学編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889940840920
・高校編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889941715836
・大学編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889942819369
詳しく書いていきますね。
社会人になってから
大学を卒業してから社会人になり仕事が中心の生活になりましたが、休みの日はこれといった趣味もなかったので家で動画を見てダラダラと過ごす生活が続いていました。
今まで体を動かしていたので、どうにも体を動かさないと気が済まない自分はまたランニングを始めることにしました。
現役の頃とは違い自分の体の状態で、走る時間も距離も決められるのでまた走る楽しさに目覚めてしまい休みの日はもちろん仕事が早く終わった日も走るような生活を行っていました。
ただ、スポーツをやっている人ならわかる人も多いと思いますがやはりただずっと練習をしているだけではそう長くは続かないものですよね。
なにか試合に出てこのタイムで走りたいとか、そういった目標がないと続かないのがほとんどです。
自分も何か試合に出たいと思い、勇気を出して42㎞のマラソンに出場することを決めました。
引退試合をマラソンに
高校でも大学でもそれなりの距離は走っていたので完走できるかどうかの不安はありませんでしたが、やはり古傷の再発が何回か社会人で走っている中でもあったのでこれで引退試合にしようと決めて練習をしていました。
ただマラソンの申し込みをしてから、徐々に仕事が忙しくなってきて練習をする体力も残すことができず満足に練習を積むことはできませんでした。
それでも楽しく完走することを目標に当日スタートラインに立ちました。
甘くなかった初マラソン
まだコロナが流行る前でしたので参加者はたくさんいました。
自分よりも年齢が上の人がたくさんいてこれは負けるわけにはいかないなと思いスタートしました。
距離ごとに振り返っていきたいと思います。
10キロまで
最初の10キロは集団の流れに身を任せて走りました。まだまだ先が長いのでとにかくペースを乱さないように意識して走りました。
20キロまで
20キロに到達しても「これで半分か、余裕だな」と思って走っていました。
5キロごとにでる給食がおいしくておいしくて、走るより食べることが楽しくなっていました。
25キロ以降~
半分をすぎてから5キロぐらい走ったころでしょうか、徐々に足の疲労が見え始め1歩で進む距離が徐々に短くなってきました。こうなってくるとあとは我慢比べ、、蹴っても進まないこの体をなんとか動かすだけで精一杯になりました。
給食だけは欠かさず食べていましたが、、。
ゴールまで
ゴールまであと5kmぐらいになるともう歩いているようなペースで走っていました。呼吸はきつくないのですがとにかく体がきつい。でも苦しくて走るのやめようかなと思うと沿道の色々な人が声をかけてくれました。
「がんばれー!あともうちょっとだよー!」
こういった温かい言葉に助けられながらなんとか振り絞ってゴール。
この苦しい先を乗り越えた達成感が好きで長い間陸上をやっていたのだと改めて感じました。
タイムは散々でしたが完走できたことがなによりも嬉しい経験になりました。
ついに引退
長かった陸上競技生活もこれで終わりです。
中学生で全国大会に出たことで10年近く陸上競技に取り組んできました。
この経験は一生の宝物ですし、大人になった今も胸を張って話せるエピソードです。
陸上競技のしかも長距離という種目は基本的に苦しいことの方が多いし、結果が出ないと何のためにやっているのか分からなくなったり技術的なことより精神的なものがかなり重要になってくる競技だと思います。
そういった競技に長く取り組めたことは将来どんな困難があっても乗り越えられる強さを与えてもらえたのではないかなと思っています。
今は野球にはまって取り組んでいるのでまたタイミングがあれば書いてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
全国大会に出たことで 大学編
今週のお題「人生変わった瞬間」
自分は中学生の時に駅伝の全国大会に出たことで人生が変わりました。
ここまでは中学編、高校編とお伝えしてきましたが次は大学編になります。
中学編はこちらから
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889940840920
高校編はこちらから
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889941715836
大学に進学
高校では最後の全国大会に出場することができず悔しい想いをしました。高校で区切りをつけて引退することも考えましたがまだ陸上に対して未練があったので大学でも陸上を続けることに決めました。
スカウトは来なかったので高校の陸上部の顧問の力もお借りしてある大学のセレクションに参加し入部の権利を勝ち取り大学に進学することを決めました。
楽しかったこと
箱根駅伝に出ている大学なので上は北海道から下は九州までとにかくたくさんの人が部員としていました。
色々な人と接することができたのは非常にいい経験になったのを覚えています。
特に九州方面の人と良く一緒にいてあの独特な方言と人の良さに居心地が良かった記憶があります。
あとは大会に行くとオリンピック候補の有名な人のレースが間近で見ることができるのも魅力でした。
普段は雑誌やテレビで見ている人が目の前で走っている姿をみると自分もこの人たちと同じフィールドで戦うことができるかもしれないとワクワクしたのを覚えています。
苦労したこと
高校時代からのケガを引きずり練習を継続して取り組むことができなかったのが一番苦しかったですね。
気持ちと体がついてこないこのギャップに最後まで苦しんだのを覚えています。
少し強度のある練習をすると過去のケガが再発するので気持ち的にも折れそうになったことが何度もありました。
ついに現役引退
ケガを引きずりながらもなんとか箱根駅伝を目指して取り組んでいましたが最終的にはいい記録を残せず引退という形になりました。
最後まであきらめずに走りぬいたこの10年間は苦労ばかりでしたが、一生自慢できる素晴らしい経験をすることができたと思います。
ただ未練はあり、すんなりとやめることはできず社会人でも走った過去があるのでそれはまた次回に。
箱根駅伝に出る人のすごさ
話を戻して大学で箱根駅伝を目指した中で「あ~やっぱりこういう人が箱根で走るんだな」と思った経験がありましたので紹介しますね。
ケガから復帰したばかりなのにもう即戦力
凡人がけがをするとしっかりと戻すまでに3か月はかかります。しかしチームのエースともなると離脱してしばらく休んでもすぐに力を戻しあっという間にベストの状態に戻すことができるのです。
これはもう才能でしょうね。もともと持っている体力なのか、気持ちなのか分かりませんがこういう人が日本のトップになっていく人なんだと思ったことがありました。
走るペースが異常
普通の人の試合で走るペースがエースにもなるとジョギングのペースになっています。
これにも驚きました。こっちが息切らして走っているペースがエースからすると朝起きて走るぐらいのペースなのです。
どの競技でもあると思いますが、しっかりとこの陸上競技にも才能というものはあると感じた経験でした。
年明けると駅伝シーズンがやってきます。
テレビで当たり前のように走っている目の前の人はとんでもないぐらい超人だと思ってみるとまた面白いかもしれません。
現役でやっていた自分からするとレベルが上がりすぎていつも驚きの連続です。(笑)
次は社会人編で!!
全国大会に出たことで 高校編
こんにちは、けんくんです。
お題 「〇〇で人生が変わった」で記事を書き今回で2部目。
自分は中学生の時に駅伝の全国大会に出たことで人生が変わりました。
前回の記事はこちらから
https://tsukaken1995.hatenablog.com/entry/2022/11/29/215844
今回は高校陸上部での経験を記していきたいと思います。
実家を離れ寮生活
高校では親元を離れて寮生活をしながら学業と競技の両立を行いました。
この3年間の寮生活の経験は今思うとやってよかったなと思える経験でした。
色々大変なことはありましたが、一つずつ紹介していきます。
寮生活で楽しかったこと
寮生活で楽しかったことはとにかく仲間とずっと一緒にいたので家族みたいな関係に慣れたことですね。
部活でいい結果を残せた、テスト勉強を一緒に徹夜で取り組んだことなど何気ない日常がかけがいのない思い出になっています。
これは寮生活をしたことがある人なら理解できると思いますがずーっと生活を共にしていくので本当に家族といる時間より長い時間いるので仲良くなるレベルが違います。
今でも連絡を取り合ってたまに集まったりするのはやはり高校の寮生活を共にしたメンバーが多いです。
苦労したこと
基本的には家事全般が大変だったのを覚えています。
掃除、洗濯、自炊など今まで親にやってもらっていたことを全部自分でやらなければならないのはかなり大変なものでした。
それに加えて勉強、部活もあるので今考えるとよくやってたなと思います。
でもその経験があったおかげで自立した生活をすることができ、現在も親に甘えることなく自分で生活をできているのでいい経験になっています。
高校での練習量の増加
寮生活の話が長くなってしまいましたがここからは競技の話をしていきたいと思います。
まず中学の頃と圧倒的に違うのは練習量の多さでした。
中学生は長距離といえど3kmをどれだけ早く走れるかが肝でしたが、高校になると5km、10kmをどれだけ早く走れるかが重要になってくるのでとにかく走る距離が伸びました。
中学までは多くても5~10㎞ぐらいでしたが、高校になると20~40㎞は1日で走ります。夏合宿のシーズンだと60㎞走ることも。
とにかく走りまくった高校生活でした。
チームは京都で行われる全国高校駅伝の常連校でしたので自分が在学中にも出場はしていました。
自分はというと徐々に力をつけて2年時には補欠でしたがメンバー入りを果たすなど順調に歩みを進め、3年時には県や地方の駅伝にもメンバーとしてタスキをつなぐなど主力選手として走ることができていました。
ただ高校陸上の集大成である全国大会では悔しいことにメンバー落ち。
腰を痛めた自分は痛みをこらえながら走っていましたが、最終的にはチームの足を引っ張ってしまうと判断し自ら退いて補欠に回りました。
この悔しさは今でも鮮明に覚えていますね。
この悔しい想いを胸に、大学でも箱根駅伝を目指して陸上競技に取り組みました。
また次回!!
全国大会に出たことで
今週のお題「人生変わった瞬間」
書く内容が思いつかなかったので、お題の力を借りることにしました。
人生が変わった瞬間、、それは中学生の時に駅伝の全国大会に出場したことです。
そこで陸上の長距離の魅力に気づき、その後の学生時代は陸上競技を生活の中心に置いて過ごすことになりました。
全部話すと長くなるので、中学、高校、大学、社会人の4作でお付き合いください。
中学生時代
小学生の時からマラソン大会では10番以内に入るなどそこそこ速く走れるほうでした。
6年生の時にマラソン大会で3位になったことから中学では陸上部に入ろうと決めて入部しました。
全国で1番速く走る先輩がいた
まず入部して一番最初に驚いたことは全国大会で優勝した先輩がいたことです。
そこそこ走れる自信はあり入部しましたが、やはり全国で1番の走力。
この前まで小学生をやっていた自分は手も足も出ないその走力の差に愕然としたことを覚えています。
名前は言えませんが今でも社会人で走っている姿を正月のニューイヤー駅伝で見ます。
もうそこまで続けられるのは才能ですね。
めちゃくちゃ怖い顧問だった
その当時の顧問の先生はめちゃくちゃ怖かったのを覚えています。
何が怖いのか聞かれると、、もう存在が恐怖。(笑)
その顧問が来る前の練習は和やかですが、顧問の車が見えた瞬間一気に緊張が走ります。
それぐらいみんなにとって恐怖の存在であったことは間違いないですね。
全国大会で優勝した先輩がいましたがとにかく厳しく毎回怒られていたのをよく覚えています。
それぐらい厳しい指導を受けたからこそ全国大会で優勝することができたのではないかなと今振り返ると思います。
怖い顧問のおかげで全国大会へ
めちゃくちゃ怖い顧問でしたが、長距離選手を鍛える腕は確かなもので県外からもわざわざ子供を連れて練習に参加させてほしいと来るほどの手腕でした。
そんな先生のもとで3年間コツコツと陸上に取り組んだ結果、初めて全国大会のメンバーとして走ることができたのです。
なぜ全国大会に出ることができたのか。もう少し分析していきたいと思います。
気持ちの面での成長
パッと思いつくのはこれですね。
とにかく陸上をやらしてもらっていることを感謝しなさいと言われていました。
毎日作るごはん、部活の送迎、洗濯、遠征などすべて親の協力があって初めてできることだと。
確かに大人になった今日々の仕事との両立をしながら、子供の部活の面倒を見ることって簡単ではないと思います。
それでも陸上をやらせてくれた親には頭が上がらないですね。
陸上の長距離ってほとんどがメンタルの部分なのでこういったところを指導してくれたおかげで、苦しくても諦めずに歯を食いしばって走ることができたのではないかなと感じます。
怒り方に愛情を感じる
怖い怖いと言っていた顧問ですが、怒り方にも特徴がありました。
それは絶対に間違っていること、頑張らなければいけないことについては厳しく怒ることです。
理不尽なことで怒られることはほとんどなく、とにかく正しい道に、競技者として成長するための言葉をずっとかけてくれていました。
また技術的な指導というよりはとにかくメンタル面での指導を欠かさずしてくれていたのを覚えています。
いざ全国大会へ、舞台は高校へ
中学3年の時に全国の駅伝メンバーに選ばれ中学校時代で最高の走りをすることができたので高校陸上の顧問からスカウトをしてもらい高校でも陸上を続けることが決まりました。
15年いた地元を離れ、親元を離れ寮生活をしながら陸上競技に取り組んだ高校時代に入ります。
それではまた次回‼︎
WEBライターは初心者でも稼げる?順調にレベルアップ中です
こんにちはけんくんです。
最近はWEBライターの執筆作業に集中しており不定期更新です。
着実に一歩ずつ進むことができているので日々成長中です。
今日は嬉しかったことを紹介しますね。
自分が書いた文章を褒められる嬉しさ
1番嬉しかったことは自分の書いた記事を褒めてもらえたことですね。
最初は右も左もわからず文章の構成もめちゃくちゃでいい記事を書くことができませんでしたが、日々勉強しながら一歩ずつ進むことでクライアントからお褒めの言葉をいただいたときは素直に嬉しかったです。
文章を書く、記事を書く作業というのは孤独の中で作業を行います。
何か分からないことがあっても自分で解決し前に進んでいかなければならない特殊な仕事です。
実際に自分の中で納得いく記事が書けたとしても、クライアントの要望の沿った記事でなければ仕事ができたことにはなりません。
そういったプレッシャーを適度に感じながら日々執筆を行えていることは非常に有意義なことだと感じています。
苦労して納得いく記事が出来た時
記事の執筆を行っているとなかなか書きたい情報がまとまらず執筆が進まないことがあります。
自分の場合はこうなると書いては消してのループにハマります。
でもこういうときは大体基本のことから外れて別のことに手をつけてつまいずている時が多いです。
題名、見出しから記事の構成を考えることで大まかな流れを作り、記事を書くという流れを行うと勝手に頭が整理されて書けるようになるのは不思議な感覚です。
頭の中で書きたいことを一個ずつ整理し記事に落とし込み完成をさせる。
決して簡単なことではないですが書けた時の達成感は嬉しいものです。
ライターという仕事をしている人への尊敬
やはり副業とはいえライターの仕事をやってみると日々記事を書いているライターには尊敬します。
自分の場合は執筆はそこまで時間がかからないですが、構成と情報収集にめちゃくちゃ時間がかかります。
構成に関してはもう考えるというより、ひらめき待ちです。
いざ構成がひらめいても、情報収集にこれまた時間がかかります。
今はネットで簡単に検索すれば情報が手に入りますが、それでもヒットしない場合はSNSなどあらゆるサイトを漁ってかき集めます。
だいだい1記事4時間としても、3時間ぐらいは情報収集に時間を取られている感覚ですね。
この辺りは今後の課題ですね。現役のライターに弟子入りしたいぐらいです。
最近ではネット記事の見方も変わってきて、内容というよりどのような構成で書いているのか気になることが多いのはライターという職業にのめり込んでいる証拠ですね。笑
今WEBライターを副業にしたいと思っている人
WE Bライターという仕事は孤独であり、情報収集をとにかくコツコツ頑張れる人が続けられる仕事です。
地味な作業も多いですがそれでも一つの記事を作成できた喜び、0の物を1にすることが出来るのはライターの魅力だと思います。
自分はこのWEBライターという職業の素晴らしさに気付くことができ毎日充実した生活をすることができています。
今後もがんばっていきたいと思います。仲間がいればこのブログを通してコメントで励まし合っていけると嬉しいです。
皆さんは起震車「きしんしゃ」って知ってますか?
こんにちは、けんくんです。
突然ですが、皆さんは起震車「きしんしゃ」って知っていますか?
名前を見ると勘が鋭い人は分かると思いますが、地震の揺れを体験できる車のことです。
今日は職場で防災訓練があり、起震車に乗るという初体験をすることができたので皆さんにも紹介します。
起震車とは
繰り返しになりますが、起震車とは地震の揺れを体験することが出来る車になっています。
体験震度は
初級(震度5強)
中級(震度6強)
上級(震度7)
2011年に起きた東北大震災は震度6強なので、それを上回る地震を体験することができます。
中の様子
イラストの方が分かりやすいので、、
中は机と椅子があり今回乗った車は4人1組で体験することができ、まずは座った状態で待機し揺れを感じたら机の下に隠れるようにと指示を受け実際に体験をしてみました。
実際に乗ってみて
今回選んだコースは上級の震度7でした。
自分はお恥ずかしい話かなりの臆病なので上級は怖すぎましたが、他の3人の圧に負けて腹を括りました。
実際に揺れが始まり机の下に隠れようとしましたが、なんと揺れが強すぎて体を支えるだけで精一杯でした。
揺れたレベルを言葉ではうまく表現できませんが、、
「家具は全部倒れて建物が倒壊するレベル」
といえばイメージできるでしょうか?
とにかく凄まじい揺れが襲い、身の安全の確保をするのも難しい状態でした。
ようやく揺れが収まり、担当の方から
「今の揺れた時間が15秒くらいです」
と言われ驚きを隠せませんでした。たったの15秒が自分には長すぎると感じた地震体験でした。
いつ来るかわからない地震に備えよう
今回起震車に乗ってみて、改めて地震の恐ろしさに気づくことができました。
最近では頻繁に地震も発生し、「また地震?」と慣れてきている人も多いのではないでしょうか?
その一瞬の判断が、自分の命や大切な人を守れるかどうかの分岐点です。
これから寒くなる季節、災害への備えも含めて再度確認をしていきましょう。
こちらは今おすすめの防災グッズになります。
まだ備えていない人はぜひチェックしてみてくださいね!