全国大会に出たことで
今週のお題「人生変わった瞬間」
書く内容が思いつかなかったので、お題の力を借りることにしました。
人生が変わった瞬間、、それは中学生の時に駅伝の全国大会に出場したことです。
そこで陸上の長距離の魅力に気づき、その後の学生時代は陸上競技を生活の中心に置いて過ごすことになりました。
全部話すと長くなるので、中学、高校、大学、社会人の4作でお付き合いください。
中学生時代
小学生の時からマラソン大会では10番以内に入るなどそこそこ速く走れるほうでした。
6年生の時にマラソン大会で3位になったことから中学では陸上部に入ろうと決めて入部しました。
全国で1番速く走る先輩がいた
まず入部して一番最初に驚いたことは全国大会で優勝した先輩がいたことです。
そこそこ走れる自信はあり入部しましたが、やはり全国で1番の走力。
この前まで小学生をやっていた自分は手も足も出ないその走力の差に愕然としたことを覚えています。
名前は言えませんが今でも社会人で走っている姿を正月のニューイヤー駅伝で見ます。
もうそこまで続けられるのは才能ですね。
めちゃくちゃ怖い顧問だった
その当時の顧問の先生はめちゃくちゃ怖かったのを覚えています。
何が怖いのか聞かれると、、もう存在が恐怖。(笑)
その顧問が来る前の練習は和やかですが、顧問の車が見えた瞬間一気に緊張が走ります。
それぐらいみんなにとって恐怖の存在であったことは間違いないですね。
全国大会で優勝した先輩がいましたがとにかく厳しく毎回怒られていたのをよく覚えています。
それぐらい厳しい指導を受けたからこそ全国大会で優勝することができたのではないかなと今振り返ると思います。
怖い顧問のおかげで全国大会へ
めちゃくちゃ怖い顧問でしたが、長距離選手を鍛える腕は確かなもので県外からもわざわざ子供を連れて練習に参加させてほしいと来るほどの手腕でした。
そんな先生のもとで3年間コツコツと陸上に取り組んだ結果、初めて全国大会のメンバーとして走ることができたのです。
なぜ全国大会に出ることができたのか。もう少し分析していきたいと思います。
気持ちの面での成長
パッと思いつくのはこれですね。
とにかく陸上をやらしてもらっていることを感謝しなさいと言われていました。
毎日作るごはん、部活の送迎、洗濯、遠征などすべて親の協力があって初めてできることだと。
確かに大人になった今日々の仕事との両立をしながら、子供の部活の面倒を見ることって簡単ではないと思います。
それでも陸上をやらせてくれた親には頭が上がらないですね。
陸上の長距離ってほとんどがメンタルの部分なのでこういったところを指導してくれたおかげで、苦しくても諦めずに歯を食いしばって走ることができたのではないかなと感じます。
怒り方に愛情を感じる
怖い怖いと言っていた顧問ですが、怒り方にも特徴がありました。
それは絶対に間違っていること、頑張らなければいけないことについては厳しく怒ることです。
理不尽なことで怒られることはほとんどなく、とにかく正しい道に、競技者として成長するための言葉をずっとかけてくれていました。
また技術的な指導というよりはとにかくメンタル面での指導を欠かさずしてくれていたのを覚えています。
いざ全国大会へ、舞台は高校へ
中学3年の時に全国の駅伝メンバーに選ばれ中学校時代で最高の走りをすることができたので高校陸上の顧問からスカウトをしてもらい高校でも陸上を続けることが決まりました。
15年いた地元を離れ、親元を離れ寮生活をしながら陸上競技に取り組んだ高校時代に入ります。
それではまた次回‼︎