全国大会に出たことで 高校編
こんにちは、けんくんです。
お題 「〇〇で人生が変わった」で記事を書き今回で2部目。
自分は中学生の時に駅伝の全国大会に出たことで人生が変わりました。
前回の記事はこちらから
https://tsukaken1995.hatenablog.com/entry/2022/11/29/215844
今回は高校陸上部での経験を記していきたいと思います。
実家を離れ寮生活
高校では親元を離れて寮生活をしながら学業と競技の両立を行いました。
この3年間の寮生活の経験は今思うとやってよかったなと思える経験でした。
色々大変なことはありましたが、一つずつ紹介していきます。
寮生活で楽しかったこと
寮生活で楽しかったことはとにかく仲間とずっと一緒にいたので家族みたいな関係に慣れたことですね。
部活でいい結果を残せた、テスト勉強を一緒に徹夜で取り組んだことなど何気ない日常がかけがいのない思い出になっています。
これは寮生活をしたことがある人なら理解できると思いますがずーっと生活を共にしていくので本当に家族といる時間より長い時間いるので仲良くなるレベルが違います。
今でも連絡を取り合ってたまに集まったりするのはやはり高校の寮生活を共にしたメンバーが多いです。
苦労したこと
基本的には家事全般が大変だったのを覚えています。
掃除、洗濯、自炊など今まで親にやってもらっていたことを全部自分でやらなければならないのはかなり大変なものでした。
それに加えて勉強、部活もあるので今考えるとよくやってたなと思います。
でもその経験があったおかげで自立した生活をすることができ、現在も親に甘えることなく自分で生活をできているのでいい経験になっています。
高校での練習量の増加
寮生活の話が長くなってしまいましたがここからは競技の話をしていきたいと思います。
まず中学の頃と圧倒的に違うのは練習量の多さでした。
中学生は長距離といえど3kmをどれだけ早く走れるかが肝でしたが、高校になると5km、10kmをどれだけ早く走れるかが重要になってくるのでとにかく走る距離が伸びました。
中学までは多くても5~10㎞ぐらいでしたが、高校になると20~40㎞は1日で走ります。夏合宿のシーズンだと60㎞走ることも。
とにかく走りまくった高校生活でした。
チームは京都で行われる全国高校駅伝の常連校でしたので自分が在学中にも出場はしていました。
自分はというと徐々に力をつけて2年時には補欠でしたがメンバー入りを果たすなど順調に歩みを進め、3年時には県や地方の駅伝にもメンバーとしてタスキをつなぐなど主力選手として走ることができていました。
ただ高校陸上の集大成である全国大会では悔しいことにメンバー落ち。
腰を痛めた自分は痛みをこらえながら走っていましたが、最終的にはチームの足を引っ張ってしまうと判断し自ら退いて補欠に回りました。
この悔しさは今でも鮮明に覚えていますね。
この悔しい想いを胸に、大学でも箱根駅伝を目指して陸上競技に取り組みました。
また次回!!