全国大会に出たことで 社会人編
今週のお題「人生変わった瞬間」
自分は中学生の時に駅伝の全国大会に出たことで人生が変わりました。
ここまでは中学編、高校編と大学編をお伝えしてきましたが今回で最終の社会人編になります。
前回の記事はこちらから
・中学編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889940840920
・高校編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889941715836
・大学編
https://blog.hatena.ne.jp/tsukaken1995/tsukaken1995.hatenablog.com/edit?entry=4207112889942819369
詳しく書いていきますね。
社会人になってから
大学を卒業してから社会人になり仕事が中心の生活になりましたが、休みの日はこれといった趣味もなかったので家で動画を見てダラダラと過ごす生活が続いていました。
今まで体を動かしていたので、どうにも体を動かさないと気が済まない自分はまたランニングを始めることにしました。
現役の頃とは違い自分の体の状態で、走る時間も距離も決められるのでまた走る楽しさに目覚めてしまい休みの日はもちろん仕事が早く終わった日も走るような生活を行っていました。
ただ、スポーツをやっている人ならわかる人も多いと思いますがやはりただずっと練習をしているだけではそう長くは続かないものですよね。
なにか試合に出てこのタイムで走りたいとか、そういった目標がないと続かないのがほとんどです。
自分も何か試合に出たいと思い、勇気を出して42㎞のマラソンに出場することを決めました。
引退試合をマラソンに
高校でも大学でもそれなりの距離は走っていたので完走できるかどうかの不安はありませんでしたが、やはり古傷の再発が何回か社会人で走っている中でもあったのでこれで引退試合にしようと決めて練習をしていました。
ただマラソンの申し込みをしてから、徐々に仕事が忙しくなってきて練習をする体力も残すことができず満足に練習を積むことはできませんでした。
それでも楽しく完走することを目標に当日スタートラインに立ちました。
甘くなかった初マラソン
まだコロナが流行る前でしたので参加者はたくさんいました。
自分よりも年齢が上の人がたくさんいてこれは負けるわけにはいかないなと思いスタートしました。
距離ごとに振り返っていきたいと思います。
10キロまで
最初の10キロは集団の流れに身を任せて走りました。まだまだ先が長いのでとにかくペースを乱さないように意識して走りました。
20キロまで
20キロに到達しても「これで半分か、余裕だな」と思って走っていました。
5キロごとにでる給食がおいしくておいしくて、走るより食べることが楽しくなっていました。
25キロ以降~
半分をすぎてから5キロぐらい走ったころでしょうか、徐々に足の疲労が見え始め1歩で進む距離が徐々に短くなってきました。こうなってくるとあとは我慢比べ、、蹴っても進まないこの体をなんとか動かすだけで精一杯になりました。
給食だけは欠かさず食べていましたが、、。
ゴールまで
ゴールまであと5kmぐらいになるともう歩いているようなペースで走っていました。呼吸はきつくないのですがとにかく体がきつい。でも苦しくて走るのやめようかなと思うと沿道の色々な人が声をかけてくれました。
「がんばれー!あともうちょっとだよー!」
こういった温かい言葉に助けられながらなんとか振り絞ってゴール。
この苦しい先を乗り越えた達成感が好きで長い間陸上をやっていたのだと改めて感じました。
タイムは散々でしたが完走できたことがなによりも嬉しい経験になりました。
ついに引退
長かった陸上競技生活もこれで終わりです。
中学生で全国大会に出たことで10年近く陸上競技に取り組んできました。
この経験は一生の宝物ですし、大人になった今も胸を張って話せるエピソードです。
陸上競技のしかも長距離という種目は基本的に苦しいことの方が多いし、結果が出ないと何のためにやっているのか分からなくなったり技術的なことより精神的なものがかなり重要になってくる競技だと思います。
そういった競技に長く取り組めたことは将来どんな困難があっても乗り越えられる強さを与えてもらえたのではないかなと思っています。
今は野球にはまって取り組んでいるのでまたタイミングがあれば書いてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!